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けものフレンズが産んだ「ありがとう」の理由

1000万再生!

 

そしてたつき監督

 

 

なんだか感慨深いです。
けものフレンズについて、まったく知らない時に
1話をニコ生でたまたま見て、何となく1を押したのを今でも覚えています。
最初の5分は体感20分でした・・・

 

その後惰性で見てたのが、3話で妙に面白さを感じて、アニメスレに行ったら6スレ目でした(今は1136スレ)
皆どことなく魅力を感じてスレに来ていましたが、まだ評価としては「面白いけどニッチで終わるやつ」という空気だったと思います。
その後5話が終わった頃に、これはもっと知られてて欲しい、と思ってエミネムMADを上げたりしました。懐かしいです。

 

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けものフレンズの「ありがとう」

けものフレンズで印象的だったのは、最終回の「ありがとう」という弾幕でした。アニメの感想に「ありがとう」なんてあまり聞いたことがありません。そして誰かが号令をかけたわけでもありません。私も自然と「ありがとう」と書いていました。
よくよく考えてみたらこれは最大級の賛辞かもしれません。なぜ視聴者は「ありがとう」という言葉に至ったのでしょうか。

その一つ前の「たつきを信じろ」も印象的です。これも見たことがありません。これらは密接に関係しています。

 

けもフレのすっごーい所、話の構成

実は3話時点で既に考察勢がいました。アニメ慣れしてる人ならその時点で違和感があったと思います。まず「ジャパリパーク全体の広さ」など世界観を説明していません。人間はどうなったのか、なぜ廃墟なのか、まるで明かされていません。
この1話で全てを明かさない構成は、非常に小説的・映画的です。最後まで見てもらえることを前提にした構成なのです。

そしてその設定の小出しが巧妙な仕掛けでした。
設定の重要な部分、ともすればシリアスな部分を話のラストに持ってきて、クリフハンガーを作ります。すると視聴者は設定の可能性から展開の幅を予想します(考察)。しかし次話では、何事もなかったかのように「へぇそうなんだぁ」「すごいね」で流し、けものパワーでほのぼのするのです。その緩急の付け方が絶妙で、視聴者はどんどんほのぼの+考察にのめり込んでいくのです。

 

各話開始

不安

安堵

ほのぼの

IQ低下(わーい!)

クリフハンガー(各話終わり)

考察・議論・不安

お約束化したクリフハンガー(引き)

これは少しお化け屋敷や、お化けが出て来る絵本に似ています。本当は安全とわかっているけど、ひょっとしたら本当におばけかもしれない。という絶妙な塩梅が、思考をくすぐります。
もちろんクリフハンガーばかりではありません。
クリフハンガーがあったのは、4話(ツチノコ)、5話(オーロックス)、6話(ヒトを誰も知らない)、10話(早起き)、11話(セルリアン)です。それ以外にも、1話、2話、3話、8話などでは次の展開を予感させるような引きが用意されていました。
こういう引きを繰り返したおかげで、視聴者は「監督が、より面白くするための引きを作っている」のだと学習しました。
その結果、11話で「たつきを信じろ」が登場します。

 

ホラーより激しい緩急

けものフレンズはそのほのぼのパワーもすごいのです。
そして世界観やフレンズが愛おしくなるほどに、クリフハンガーが強く効いてきます。例えばサーカスで危険な技を行うのが他人ではなく、家族や好きな人だったらどうでしょうか。そちらのほうがずっとハラハラするはずです。安全と分かっていても、わずかな可能性が気になってしまいます。
つまりけものフレンズに対する不安やハラハラは、裏返せば世界観やフレンズの愛おしさの強さをあらわしているわけです。

リアルタイムでみていた時、アニメスレでは動物ネタ、IQ低下ネタ、世界観ネタ、考察ネタなどがちょうどよく混ざりあった状態でした。全ての要素があって、初めてけもフレの魅力だと感じました。そしてそれら全部に乗算するように、クリフハンガーが繰り広げられます。

 

なぜクリフハンガーで怒られなかったか

クリフハンガーというのは少しビックリさせる手法なので「何だよ驚かせるなよ」とか「無茶な展開だ!」とか「誰得シリアス」などと本気で怒る人が居ます。
しかしけもフレではほとんどの人が普通に受け入れていました。
これは、あくまで「展開の可能性の幅としてシリアスの余地を残す」という手法だからだと思います。クリフハンガーは考察班が勝手に想像するのです。
これはアニメに慣れているヒトほどハマります。「この流れならシリアス展開もあり得る」と考えてしまった瞬間、思考はとまらなくなります。辻褄が合ってしまいます(そのように作られています)

でも実際は最も素直な展開を選択します。
すると安堵こそすれ、誰も怒れません。
それどころか皆の想像より遥かにほのぼのした展開を繰り広げます。
驚くことに、アニメスレというガチヲタのすくつですら、次話の展開を正しく予想できたヒトは少なかったと思います。皆の予想より上を行くのです。

 

たつきを信じろ=たつきを信じたい

なぜ「たつきを信じろ」だったのか。
それは可能性の幅が11話時点でも無限に広がっていたからです
当時いろんな議論が起こりました。

・かばんちゃんセルリアン説
・かばんちゃんヒト説
・かばんちゃんフレンズ説
サーバルちゃん=セーバル説
サーバルちゃんが泣いた理由
・セルリアンに飲まれるとどうなるのか
・本当にセルリアンに飲まれたのか
・そもそもサーバルちゃんは無事なのか
などなど

それはもう、当初あったお別れエンドなのかどうかという大きな議題を忘れるほどに

やろうと思えば、何通りもの最終回を作れる可能性がありました。
そこへ更に監督から爆弾発言があり、一気にシリアスエンドの可能性がでてきました。

news.nicovideo.jp

 

そこで登場したのが「たつきを信じろ」です。
11話を通して、クリフハンガーが多いことや、視聴者が望む展開を選択してくれる気質を知っていました。だけど、そうなる保証なんてどこにもありません。十中八九ほんわか展開でしょうけど、一二割、シリアス展開を予感していたと思います。
だって、これまで他のアニメで散々そういうのを見てきました。最後にしこりを残すやり方は、手法として存在しています。だからその展開も有りえます。
だけどけもフレでそれは見たくない。そういう願いと共に「信じろ」と唱えられたのだと思います。まるで自分に言い聞かせるように。ほんとうに皆が確信していたなら、その後は「ありがとう」ではなく「まあそうなるわな」になるんです。

最初の「ありがとう」

最初の「ありがとう」はかばんちゃんでした。

サーバルちゃん。見るからにダメで、 何で生まれたかも分かんなかったぼくを受け入れてくれて、 ここまで見守ってくれて ありがとう。元気で。

ここで視聴者は絶望するとともに、かばんちゃんに同調した気がします。

 

12話の怒涛の展開、そして「ありがとう」

ここまでくれば「ありがとう」はしっくり来る言葉だと思います。
最大のクリフハンガーも、納得できる普通の展開で締めました。

と思ったら、12話は更に怒涛のびっくり展開がありましたね。
ボスはさすがに死んだかと思いました。けどそれもクリフハンガーです。
そして皆がすっかり忘れていたお別れエンドも、もちろん優しい展開でした。
全てが杞憂になり、完全に安堵したら、もう「ありがとう」と言うしかありません。

 

「ありがとう」に込められた他の意味

この言葉は色々含まれていた気がします。
楽しい時間を「ありがとう」という意味は基本として。
ゲームが終わってしまったが、そのリベンジを成してくれて「ありがとう」。
信じた通りの優しい展開にしてくれて「ありがとう」。
アニメを作り続けてくれて「ありがとう」。
プロジェクトチームが出会ってくれて「ありがとう」。

私の場合は言い過ぎかもしれませんが、長年他の作品でできた「喉に支えた小骨」が全て取れたような清涼感があって、そういう「ありがとう」もあったと思います。(成仏仕掛けました)。

あるいは、作家として普通の展開(悪く言えば陳腐とも取られる)を選択してくれて「ありがとう」というのもあると思います。作家というのはどうしても読者を裏切りたくなります。他でやってないような斬新さを安易に求めたがります。それをやらずに「視聴者の見たかった展開」を重視してくれた気がしたんです。

 

すべてに「ありがとう」

「ありがとう」現象はこれだけではありません。
とにかく全関係者、キャラクター、しんざきおにいさん、木にまで「ありがとう」を振りまきました。
けもフレプロジェクトは決して潤沢なリソースを元に作られたわけじゃないので、ほんとうに誰一人欠けてもあそこにはたどり着けなかったのです。何でそうなったのかはわかりませんが、視聴者としてはもうお礼を言うしかできません。
あれはアニメが起こすにしてはあまりに大きい感情の奔流です。単純な面白さ以上の歓喜があったことがわかりました。
そして皆がそう感じていることで、また嬉しくなってしまったのを覚えています。
だって、こんな美しい出来事そうそうないじゃないですか。


これから

大体6話の頃。私は不安でした。
皆のテンションが上りすぎて、信用が大きくなりすぎたからです。
信用が大きすぎると、いつか裏切られたという人が出てきます(実際に少し出ました)
しかしそれも杞憂だったようです。
視聴者は安心して、信じたり、不安になったり、素直に楽しめばいいのだと思いました。

2期がいつ来るかはわかりませんが、また「ありがとう」と言えたらいいですね。
つまりはこれからもどうかよろしくね